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八日目の蝉(映画)

夜中に映画がやっていたので見ました。ノーカット版だそうで。
タイトルは知ってますが、原作は読んでません。これが問題作(汗)であることはわかっていたし、自分の感性に重くのしかかるであろう内容は避けている面もあって(汗)。
ドラマもやっていましたが、やっぱり映画版の方がいいと思っていたので(ドラマは原作にない別エピソードが加わる事が多いから。映画だと削られるだけだし)。


拍手[2回]



ほとんどの方はさわりの筋をご存知でしょうが一応。
過去、父親の不倫相手に誘拐され、その女の娘として4歳まで育てられた大学生の恵理菜。元の家族のところに帰ってからも馴染めずに二十歳を過ぎ一人暮らしをしていた。バイト先で知り合った妻子ある塾講師の男の子供を妊娠してしまい、それを発端として過去と向き合っていく。
…という感じの入りです。

この物語で諸悪はもちろん父親です。嫁がいながら、別の女(希和子)を半分いいように弄んでいたわけで、子供が出来たら都合のいいように言いくるめて堕胎させてしまう。それが原因で、希和子は子供ができない体になってしまった。
最終的には、問題を先送りにし騙す男が悪いのか、こんな下らない男に惚れた女が悪いのかっていうところになりますが、まあでも、原因を作った父親が最も悪いだろう。そのことを責められたくなくて、事件から逃げてるしね。
ヒロインの恵理菜も、妻子ある男の子供を妊娠してしまい、その男も父親同様に逃げる『駄目な男』でそのあたりも因果を感じます。ただ、恵理菜の場合は父親を見ているので、子供が出来たことをほのめかし、男がウソの約束(都合のいい言葉)を口にした時点で見切りをつけて、さっさと別れを切り出しましたが。
彼女が誘拐されたことによって、元の家庭はほとんど崩壊しており、家族らしいことをしたこともなく彼女は大人になりました。愛もよくわからない。また、自分が何者なのかもはっきりしない。
そんな時、かつてとある施設で一緒に暮らしていた女性が彼女に会いに来たことで物語が動きます。妊娠後、それまで避けていた過去を遡る旅をはじめたわけです。ルーツ探しというか。
ラストシーンでは小豆島(希和子と暮らしていた最後の場所)で、希和子が捕まる寸前に立ち寄った写真館での記念写真を目にして、彼女は涙ながらに本心を吐露する。
「言えるわけもないし、認めたくもなかったけど、本当はここに戻って来たかった。ここで暮らしていたかった」
希和子の娘として暮らした「薫」としての自分と、本来の両親の子である「恵理菜」としての自分を受け入れて映画は終わります。
終盤の一部の言葉は、奇しくも希和子が薫に言ったものであったりします。言葉には出てきませんが、恵理菜は今でも希和子を思慕している面があるのではなかな。

この物語、それぞれの女性の立場になって考えると、難しいものを感じます。
希和子は恵理菜(薫)の父親と不倫関係にあり、男の「妻と別れて君と一緒になる」発言を現実的なものとして捉えた結果、バカを見た。嫁はふたりを別れさせようとして、希和子のところまでヒステリックに怒鳴り込んでくる。堕胎し、子供が産めなくなったと知ると、嫁は「よくも子供をおろすなんて真似できたわね。あなたなんか空っぽの伽藍堂なのよ」と罵り、希和子を精神的に追い詰めることになった。
裁判で、彼女はけして謝罪を口にすることはなく、「4年間子育てさせてもらえたことはありがたく感じる」と淡々述べるだけだった。まあ、人間性疑われるかもしれないけど、わたしが彼女でも謝罪しないと思った(汗)。たしかに彼女のしたことは犯罪だけども、希和子だけが悪いのか?と思うんだよね…。
(判決後、法廷で嫁は希和子に「シね!シんでしまえ!」と口汚く呪いの言葉をヒステリックに吐きまくっておりました)

またこの駄目男の嫁(恵津子)は、なんというか…わかりやすい「女らしい女」で、不倫してる夫を責める前に、不倫相手ばっかり責めるのね。女の敵は女ということでしょうか。
旦那と自分の性生活を赤裸裸に希和子に語って見せたり、ヒステリックに罵声を浴びせたりと、犠牲者でありながら、ほとんどヒール役です。
単に旦那についても『自分の物を取られるのが嫌』なだけで、愛なのかどうかは怪しいところ(なぜなら、誘拐前、嫁には男友達がおり誘拐捜査はそっちに向いていた。←ミスリードの原因)。
娘が戻って来ても、懐かないことに苛立ち、ヒステリックに責めたり、錯乱したりする。もともと精神が弱いのでしょうが(汗)、そりゃこういう人なら娘は萎縮し、避けられ、旦那も疲れて他に女作るわな…と思わせてしまう面は否めない。
(誘拐されてなければ、ごくありきたりの家庭であったのかもしれない…と恵理菜は思っているけど、この母親の精神を考えると何かしら歪んだ家庭になっていた気がする)
恵理菜が妊娠した際も「おろせ」と言うが、かつて自分が希和子に言った言葉(空っぽの伽藍堂)を娘に突きつけられて「あの女の被害妄想よ」と動揺しながらも言うシーンは、イタタでした。因果応報というか(汗)。娘に愛されたいと思っているのに、それが常に裏目に出てしまう可哀想な人。

恵理菜を動かすきっかになったのは、千草という女性なのですが、この女性は希和子と恵理菜(薫)が逃亡中に最も長く滞在していた半カルト集団(女性の駆け込み寺的な場所)の中で一緒に育ち、遊んでいた人だったりします。恵理菜は覚えていませんが、千草は覚えていたので会いに来たのでした。千草は男がいないカルト集団(女性だけの組織だった)で長く過ごしたため、男性恐怖症になり(会話したりするのは大丈夫だけどSEXは出来ない)、結婚は出来ないし、子供も作れないだろうと恵理菜に告白する。
千草が来なければ、恵理菜はずっと自分が何者かわからず、半端に生きていたかもしれません。


感動作というよりは、問題作(汗)なのですけど、見てて涙が出る出る(汗)。
逮捕という終わりが見えているだけに、希和子の恵理菜(薫)への深い愛情が切ない話です。人様の娘を誘拐した憎むべき対象であるはずなのにね。希和子側からの視点が大半のため、善悪の境界が曖昧になる。このあたり、女は一通りには出来ていない証拠ですわ。もちろん正当化はしないけれども。
原作は小豆島を巡るシーンはないそうです。が、原作読んでみたいなと思わせてくれました。
タイトルの「八日目の蝉」は、抽象的なイメージっぽい印象を受けました。具体的には「(普通の蝉は七日で死ぬけれど)八日目まで生きていた蝉は、他の蝉とは違うものが見られるかもしれない」みたいなこと言ってましたけど、作中で。
出所後の希和子と再会する場面はありませんが、いずれ恵理菜は会いにいくことがあるかもしれません。もう少し年を取ったら、もっといろんな心情が理解できていくだろうし。赦すとかそういうのじゃなくて、冷静に希和子という人物を受けいられるようになるんじゃないかなぁと。そうであってほしいなぁと思いました。


この作者さんは問題が起きたら逃げる駄目な男と、そんな男に惹かれてしまうバカな女を題材にするのがお好きなのか。まあ、人間は弱い生き物だということなのでしょうけど。
同じような問題作(避けてきた過去を巡る先に見えるものがある)の『愛を乞うひと』を思い出しました。全然方向性は違いますけどね(汗)。


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